英語を話すということ vs 会話ができるということ②
英語はできる。なのにコミュニケーションが難しい。
そういう英語上位層の純ジャパ人間に、このもどかしさが伝わればいいなというのが、この記事の趣旨でございます。
イギリスに住み始めて改めて痛感した日本語と英語のコミュニケーション文化の違い、今回は二点目「オーバーラップ耐性の違い」についてです。
一点目「求められる発言内容の違い」についてはこちら。
オーバーラップ耐性
学術的にそんな単語はあるのでしょうか。私が言いたいのは「二人の人間が同時に喋ることに対する耐性」です。
たまたま同時に二人の人間が話し出してしまった。「あっ」ってなって、「お先にどうぞ」ってどちらか一人が聞き役に回る。
恐らく日本人であれば「あっ」ってなった瞬間にどちらかは話すのを止めているでしょう。
欧州に来てから凄く思うのは、「二人の人間が同時に話し出してしまった」と気づいてから「どちらか片方の人間が話すのをやめる」までにかかる時間が、日本に比べて欧州では非常に長いということ。
要は二人の人間が同時に話している時間がとても長い。下手したら10秒以上全然話す。
それはケンカ売ってる訳ではなく、単純に被っちゃっただけ。
その時間を「普通」と感じる文化の人間と、「長い、違和感」と感じる日本人が同時に喋るとどうなるか。チキン日本人の私は黙ってしまいます。
それは会話終わりにも感じられます。
日本人だと、相手が話し終わるのを待ってから話始める人が多いと思います。
しかし、欧州だと相手の主張が大体わかった時点で次の人が話し始めます。相手が最後の単語を言うのを待っていたチキン日本人の私は、またも会話に入れない。
私は清く正しく(?)日本の義務教育を受けてきた人間です。
「人の話を遮るな」「話相手に敬意を持て」
そう刷り込まれて生きてきました。
しかし、ただ相手の話を遮らず聞くだけが敬意じゃない。
会話に割り込むことは、日本では無礼にあたることでも、文化が違えばむしろ積極的で好ましいコミュニケーション手段になる。
そうわかってから、少しずつ仲間に認められるようになってきた気がします。
違いを理解することは相手に近くなれるということ。
まだ完全なオーバーラップ耐性を身に着けた訳ではありませんが、明日からもちょっとずつ「図太い」楽しい人間になっていきたいと思います。