英語を話すということ vs 会話ができるということ①
英語はできる。なのにコミュニケーションが難しい。
そういう英語上位層の純ジャパ人間に、このもどかしさが伝わればいいなというのが、本日の記事の趣旨でございます。
イギリスに住み始めて改めて痛感した日本語と英語のコミュニケーション文化の違いを二点、私なりにまとめてみたいと思います。
(1) 求められる発言内容の違い
(2) オーバーラップ耐性の違い
今回は一点目の「求められる発言内容の違い」についてです。
「海外では自分の意見の発信が求められる。一方日本では共感が大事」
どこかで聞いたお話です。その通りだと思います。
ただ想像と違ったのは“What do you think?”と質問されることは滅多にないということ。
「意見の発信が求められる」のではなく「意見を発信するのが普通」ということ。
各々が言いたいことを言うだけなので、何も発信しなくても批難されないし、気を使われることもない。ただ会話に入れないだけです。
例えばISISから離脱しイギリスへの帰還を希望していた女性に市民権が与えられなかった話。「ふーん、そんな出来事があったのか」で終わってしまってはダメで、ランチタイムに従食のテレビを見ながら皆で賛成、反対、色々な視点から話をします。
じゃあイギリス人は皆毎日BBCニュースを見て、政治的意見を考えて、そんな意識高い系な生活を送っているのでしょうか。
否、そうとも信じがたい。
どちらかといえば、何か話題が出たときに「私は賛成だな」「政府はクソだと思う」「本人はいいが子供は可哀そう」、と言える発言の気軽さと瞬発力が高い。日本特有の同調圧力がないことが頭を頭は理解しているのに、それを乗り越える勇気がちょっと足りない。
それに気づいた時、私に必要なのは練習だと思いました。
なんとなく反射的に使っていた、I agree, that's a good idea,といった同調的な単語をなるべく控えるようにし、
何か言われた時とっさに反応が出来るよう、ニュースを見ながら家でゆっくり賛成、反対、好き、嫌い、などといった意見を考えるようにもしています。
とっさに意見を言える瞬発力
それさえ手に入ればもっと会話が楽しくなるのかなと思い、
このブログもそういった「思考プロセス」の筋トレ場にしていく予定で
頑張っていこうと思う今日この頃です。
その②に続く